前回、「『傾聴』ってなに?」で
<傾聴とはただ聞くことではなく、あれこれ訊きながら聴くことである>、
皆さん「面接で説教なんて聞きたかないよ」と思っているので「カウンセリング」なるカタカナ用語に期待している、
と書きました。
といって実際のところ、
「カウンセリング希望」という触れ込みの人に<カウンセリングを受けてどうなると期待しているの?>と尋ねると、
皆決まって「なんかー話を聞いてもらってーアドバイスとかしてもらえればー良くなるんじゃないかと思ってー」などと言ってくるのです。
ちょっとそれは考えたらずじゃあありませんか?と。
今回はそれを受けて、「カウンセリング」は何をするもの/してもらえるものなのか?について書いてみます。
強調しておきますが、私見です。
「カウンセリング」とか「精神療法」って、してもらうものじゃないんです。
もうすこし親切に言うと、他人に良くしてもらうものではなくて、自分のことを自分で良くするために利用するものです。
ロジャーズの来談者中心療法で行けば、
カウンセラーは自らの考えや思い付きを相談者に与えること、アドバイスすることは原則的に禁止されています。
積極的傾聴を受けることで、相談者は自分の思考を整理し、思考の癖に気づくこと、洞察を得ることを期待されています。
自分の力で気づきを得ることで、相談者は回復する、相談者にはその力があると信じ、積極的傾聴を行うことが来談者中心療法の中核です。
逆に言うと、その力がない相談者は、来談者中心療法には向きません。
もちろん、相談者の回復力を引き出すことはカウンセラーの力ですが、それができない人が居る、という残念な事実を認められない者は、これもカウンセラーには向きません。
何かの役に立つ、ということは、それが役に立たない状況を知っている、ということと矛盾しないどころか、有用であるためには必須の事です。
自分の提供できることがその相談者の役に立たないことである時に、
「自分はお役に立てません」と明言できること、
可能であれば適切な場を紹介できること、
それが良い治療者に必要な条件です。
今回は来談者中心療法を例に「カウンセリングは何をするものなのか」について書きました。
精神分析的精神療法や認知行動療法、解決志向アプローチによるブリーフセラピーなど、
他にも有用な「カウンセリング」の流派はありますが、前提条件は同じです。
有用であるためには、相談者が有用にしようと努力することが絶対に必要です。
最初からそのつもりであるか、途中から徐々にそうなるか、に違いはあっても良いと思いますが、「自分で良くなろうとすること」なしに「カウンセリング」「精神療法」による治療効果はほぼ望めない、と考えています。
来談者中心療法以外については、機会があればまた。
今回はここまで。