前回は、経験を積んだ側に残っているものの正体として、
「不確実な状況で動ける力」がどこから来るのかを整理しました。
では、その前提を踏まえて、
現場では若者とどのように関わるべきなのでしょうか。
若者にどう接するべきか。
丁寧に教えるべきか。
寄り添うべきか。
厳しく指導すべきか。
多くの人が、現場でこの問いに悩み続けています。
しかし、この問いの立て方自体が、
少しずれています。
前回は、経験を積んだ側に残っているものの正体として、
「不確実な状況で動ける力」がどこから来るのかを整理しました。
では、その前提を踏まえて、
現場では若者とどのように関わるべきなのでしょうか。
若者にどう接するべきか。
丁寧に教えるべきか。
寄り添うべきか。
厳しく指導すべきか。
多くの人が、現場でこの問いに悩み続けています。
しかし、この問いの立て方自体が、
少しずれています。
前回は、「優秀なはずの若者が現場で止まる理由」を、
能力ではなく「適応のズレ」という構造から整理しました。
では逆に、現場で動けている人は、何が違うのでしょうか。
この問いを「経験があるから」と片付けてしまうと、
あまり意味のある説明にはなりません。
重要なのは、
その“経験の中身”です。
まず前提として押さえておくべきことがあります。
それは、
不確実な状況に対する不安は、
若者も、経験を積んだ側も、本質的には同じだということです。
AI化が進み、予測可能な領域が機械に置き換わっていく中で、
「この先どうなるのか分からない」という感覚は、
どの世代にとっても共通です。
違いがあるとすれば、
その不安との付き合い方です。
「最近の若者は優秀なはずなのに、現場で動けない」
そうした違和感を抱く場面はないでしょうか。
・指示がないと動かない
・少し曖昧な状況になると止まる
・一方で、「それは非効率では」「意味がありますか」といった指摘は鋭い
こうした現象は、ときに「世代の問題」として語られます。
価値観が違う、根性が足りない、甘えている――。
しかし、それだけで片付けてしまうと、現場での対応を誤ります。
続きを読む ▼ “若者問題を“世代論”で片付けないために|その1:なぜ「優秀な若者」が現場で止まるのか”
通勤時間について研究した記事をきっかけに、
自分の経験を振り返った。
30年近く続けてきた通勤の運転時間は、
単なる移動ではなく、
思考の整理や切り替えの時間として機能していた。
普段は意識していなかったけれど、
その時間が失われると、
どこか調子が狂う感覚があった。
この感覚は、
単なる気のせいではないのかもしれない。
通勤時間について研究した記事をきっかけに、
自分の経験を振り返った。
30年近く続けてきた通勤の運転時間は、
単なる移動ではなく、
思考の整理や切り替えの時間として機能していた。
普段は意識していなかったけれど、
その時間が失われると、
どこか調子が狂う感覚があった。
この感覚は、
単なる気のせいではないのかもしれない。