あるのは「きっかけ」です。
精神科医や産業医として面接する際につかないないよう気を付けている言葉。
今回は「原因」について。
日本人は?どうにも「原因」という言葉が大好きです。
合理的思考を重んじて、「こうなればこうなる」といった因果律がはっきりしていることを好むこと、
少なくともそれを尊重している姿勢を見せることは、
日本人の美徳と位置づけられることのひとつです
不調になった時に、「これが悪いんだ!」と他責の気持ちの行先を求めるのは、人の自然な気持ちの働きです。
それが言葉として現れるのが「原因」という言葉なのかもしれません。
「病気」にも原因がある、とされます。
肺がんの「原因」は「喫煙」であるとか。
まあそうかもしれませんが、「喫煙しない人は肺がんにならないのか」「喫煙する人は必ず肺がんになるのか」と言われれば、そうでもありません。
喫煙は肺がんという病気に至る因子のひとつ、なりやすくなる要素に過ぎません。
「こうすれば、必ずこうなる」という因果律は病気には必ずしも当てはまりません。
そこでメンタルヘルス不調の「原因」とされるものを考えると、
「ストレス」であるとか、「失業」であるとか。
はたまた「出産」や「引っ越し」、「就職」なども「原因」になります。
確かにその出来事があったから不調になったのではありましょうが、
それを「原因」といってしまうと、
それを取り除かなくてはならない、それがあると良くならない、という話になります。
はて?
本当に?それがなくなったら良くなるの?
それがあってはいけないの?
狭い意味での精神疾患の場合には、その病気が起きた「原因」は、「その人の脳」とか「生まれつき」ということも考えられます。
はい。取り除けるものでも、いまさら変えられるものでもありませんね。
これはつまり、「原因」と表現することから来る行き止まりです。
ここらで言い切っておきます。
<メンタルヘルス不調には、「原因」はありません!>
あるのは、「原因」ではなく「きっかけ」です。
人生のあらゆる出来事、変化は不調の「きっかけ」になることがあります。
そしてそれは別の人でも同じように不調の「きっかけ」になることもあるし、ならないこともあります。
例え同じ人であっても、対策を練って工夫することで次の「きっかけ」は乗り切れるかもしれません。もちろんその「きっかけ」を避ける、というのも工夫のひとつです。
「原因」という言葉を捨てて「きっかけ」としてとらえ直すことは、
不調の「外在化」と同じくらい大切なことではないかと考えています。
この項ここまで。