パーソナリティ障害という精神科で診断される類型があり、
その中にBPD:境界型パーソナリティー障害というものがある。
「迷惑な人」「かまってちゃん」と言われてしまうような人の中には、
そんな診断がつく人が居る、
それはまあそうであるとして、
ある人に「ボーダー」という診断ラベルが使われがちなのは、
いったいどのようなときだろう?
まず最初にその可能性、危険性に気が付いて対応していくためには
何に注目したら良いのだろう?
今回はそこを考えてみる。
理系的に言えば、BPDの必要条件は何か、ということ。
自傷行為があるとき?
見捨てられ不安の心性?
理想化とこき下ろしの反復があるとき?
相手に対する操作性、操作的言動?
結論を先に言うと、私は「操作」「操作性」にこそ注目するべきだと思っています。
今回はその「操作性」に至るまでのところについて。
自傷行為
医療業界に属する人が特に飛びつきがちなフック。
自傷行為、特に刃物による手首自傷や過量服薬の繰り返しなどがあるとき、
「ボーダー」というラベリングがされがち。
たしかに自傷行為は衝動的、刹那的行動であり、
自己評価の低さの表れであったりもするけれど、
それだけでパーソナリティー障害と言うには足らない。
あまりに一側面に過ぎる。
ボーダーにありがちではあるかもしれないけれど、そうかもしれない、くらいなもの。
必要条件でも十分条件でもない。
特に、昨今は手首自傷があまりにカジュアルになりすぎた。
試してみて定着していくかどうか、ではあるけれど。
しばらくカジュアルにやってみている少年少女も少なからず。
反復する自傷行為が示すのは、解離症状があることであって、BPDのラベリングに飛びつくのは危険。
見捨てられ不安
見捨てられ不安の心性、というのは、BPDの心性の中核であるとされている。
もうちょっと平易に言うと、
「どうせ私は見捨てられるんだ」と関わった人を試し、
そして、相手にしがみつきすぎて見捨てられてしまうことを繰り返す、
という行動が生むのがボーダーライン状態。
これこそがBPDの必要十分条件。
これがなければ境界型パーソナリティー障害ではない、と言っていいのだろう。
しかしながら、表面的な言動に出るものではないし、この見捨てられ不安はそんなにすぐに読み取れるものではない。
逆に簡単に口にしている場合など、逆にそれを素直に受け止めていいものか悩む。
悩むというよりは疑わしく思うだろうな。
ということで、
見捨てられ不安は判断の最初の手掛かりにはしにくい。
理想化とこき下ろしの反復
理想化とこき下ろしの反復、というのは、
内在する見捨てられ不安が行動化されて表現されたもの。
見捨てられ不安から生じる、相手に対するしがみつきの顕れであり、操作行動のこと。
これはまさにBPDの必要十分条件。「ボーダー」の典型的行動。
でも、この理想化としがみつきそしてこき下ろしの行動化が表れている時には、もう結構厄介な事態になっている。
なので、早期警戒サインとしてはちょっと遅い。
この「理想化としがみつき、こき下ろし」のサイクルについてハラオチするために、BPD者とその相手の典型な経過を考えてみたい。
BPD者はある種、魅力的
BPD者には才能の片鱗の光があり、放っておけない危うさもその蠱惑的な魅力の要因になる。
BPD者の自分の秀でたところを生かしてサバイバルしていく術、と言われればその通り。
でも人を引き付ける魅力であり能力、というためにはコントロールされず、破綻してしまうのがBPDとして事例化する状況。
BPD者とその相手の典型な経過
まず初めに、BPD者は不遇な状況にある。
周囲からの評価は賛同するものも批判するものもある状況。
BPD者には不思議な魅力、才能の片鱗があり、
BPDに関わる人は、そこに惹かれ、不遇な状況に同情する。
すると「あなたが理想の人、救ってくれる人、貴方しかいない」と理想化され、慕われ、依存される。
慕い慕われのハネムーン期はしばらく続くが、時にはBPD者の希望がかなわないことも出てくる。
すると、これまでの理想化から打って変わり、BPD者は「最低、そんな人だと思わなかった、裏切り者!」などと相手をこき下ろし、攻撃する。
すると相手は「自分が至らなかったから」と自責の気持ちとなり、BPD者の期待に応えようと努力する。
するとまた理想化、心地よい依存-共依存関係が再開され、次なるこき下ろしの谷までそれが続く。
この感情を揺さぶるしがみつき行動が反復され、
BPD者に関わった人は疲弊し、正常な判断力が損なわれ、そしてまた理想化とこき下ろしの嵐に翻弄される。
言葉でこれを訊くとなんで依存される相手はBPD者に関わっているのだろう、と不思議になるが、それを可能にする蠱惑的な魅力がBPD者にはある。
そしてまた、こき下ろし期でBPD者に幻滅したりしない者、そこに嵌りやすい人がBPD者の相手となる。
BPD者の相手となりやすい人の条件はまた別の機会に。
自分でやっているのだから止められるんじゃないの?
BPD者の行動は、こんなドラマチックな「理想化、しがみつき、こき下ろし」の繰り返しで極彩色に彩られ、とても危うく魅力的で離れがたい関係がしばらく維持されるが、BPD者の相手、そしてBPD者自身もその行動の激しさと繰り返しに疲弊し、事例化する。
自分でやっていることとしてBPD者にこの反復が止められるかといえば、そんなことはなく、極端な感情に流され、愛憎が逆転して相手を責めたり、自分も苦しんだりすることにBPD者も悩み、苦しむこともある。BPD者にとっては自分の毒に当てられる自家中毒の様な状況。
”自分の行動だけれどやめられない”から精神障害として診断されるわけで。
治療の話につながるけど、その繰り返しに気が付いてもらうのが治療の第一歩。
早期警戒サインの「操作性」
この「理想化、しがみつき、こき下ろし」の行動化が表れている時には、もう結構厄介な事態になっている。なので、早期警戒サインとしては役に立たない。
最初に起きる理想化としがみつきのフェーズで、そのサインに気が付きたい。
そこのサインをよみ取るためのキーワードが「操作性」。
相手を理想化し、しがみつくための手段が「操作」という行為です。
<操作しようとしてんな―>と感じる要素が「操作性」。
とようやく「操作性」に触れられそうなとこまで来たので、次に続きます