結論から言いますと。
離職を考えている社員に対して、産業医ができることは多くありません。
ただし、「何もできない」わけではないと思うのです。
経営者の方などから、こんな声を聞くことがあります。
「辞めたいと言っている社員に、産業医が関わって何の意味があるんですか?」
気持ちはよくわかります。
離職は個人の自由ですし、最終判断は本人のものです。
産業医には辞職を止める権限も、人事配置を変える権限もありません。
その意味では、
「産業医が関わっても結果は変わらない」
という認識は、教科書的には正しいと言えるでしょう。
それでもなお、私は
離職を考える社員と産業医が話すことには、一定の意味がある
と考えています。
それは「引き止めるため」ではありません。
でも、辞めるのを止めることにはつながるのかもしれません。
現場でよく見る「回転ドア現象」
産業医面接をしていると、
「転職したいです」
「もう辞めようと思っています」
という話は、珍しくありません。
今の時代、転職自体はごく普通の選択です。
私自身、転職を否定する立場でもありません。
ただし、診療現場で気になるのは、次のようなケースです。
・転職しても、結局同じ理由で行き詰まる
・環境を変えても、満足感が長く続かない
・気づけば短期間離職を繰り返している
これは能力や根性の問題というより、
意思決定が十分に整理されないまま繰り返されている状態
と見るほうが自然でしょう。
ステップアップのつもりが、
結果的に「回転ドア」になってしまう。
出入りは自由でも、前に進んでいない状態ですよね。
経営の視点で見れば、これは無視できない
この回転ドア現象、本人だけの問題ではありません。
・採用コストが回収されない
・教育しても熟練が蓄積しない
・同じ理由の離職が構造的に繰り返される
「どうせ辞める人だから」と割り切るのは簡単です。
ただ、同じ離職パターンが何度も起きている職場は、
すでに経営リスクを抱えていることも少なくありません。
そして、会社の損失だけではなく、
社会的損失でもあり、
本人自身の損失でもあります。
誰も幸せになってない。
あえて言うなら、転職エージェントだけ儲かっている。
率直に言って、産業医は万能ではない
ここは誤解のないように整理しておきます。
産業医には、
・離職を止める権限はない
・人事判断を下す立場でもない
・キャリア設計を代行する役割でもない
「調整役」でもなければ、
魔法のように問題を解決する存在でもありません。
では、なぜ関わる意味があるのか。
「会社の人ではない専門家」という立ち位置
産業医は、会社の人間ではありません。
しかし、職場や業務内容を理解している専門家です。
この中途半端とも言える立ち位置が、
実は役に立つこともあります。
上司や人事との面談では、
どうしても
・評価への影響
・慰留や説得
・組織側の事情
などが、
前に出たり、後ろに透けてみるように感じられてしまいます。
一方、産業医面接では、
・辞める・残るを前提にしない
・利害関係から距離を取って話を聴く
・感情と事実を分けて整理する
といった関わりが可能です。
これは、社内の人間ではないからこそできる役割です。
産業医面接で実際にやっていること
離職を考える社員に対して、
産業医がしているのは「説得」ではありません。
具体的には、
・今回の不満だけでなく、これまでの職歴を振り返る
・どんな場面で消耗しやすいかを整理する
・繰り返されているパターンを言語化する
要するに、
迷っている自分自身の物語(ナラティブ)を整理する作業です。
答えを出すのは本人です。
ただ、「なぜ迷っているのか」を考える材料を並べることはできます。
精神科医としての診療経験から言えば、
この整理がないままの意思決定は、後悔につながりやすいと感じています。
「軸」を考えるという発想
離職を繰り返す方の背景には、
能力不足よりも、価値観の軸が言語化されていないことがあります。
人には必ず、
・これだけは譲れない条件
・これを失うなら辞めてもいい価値
・多少の不満があっても耐えられる要素
があります。
その整理の枠組みとして、
キャリアアンカーという考え方が使われることもあります。
理論の詳細はさておき、
「考えずに辞めないための視点」を持つことが本質です。
産業医は、離職を止めない。しかし——
離職を止めるかどうかは、経営判断であり、
実際に離職をするか否かは本人の選択です。
産業医はそこに介入しません。
ただし、
・同じ理由での再離職
・振り返りのない意思決定
・回転ドアのようなキャリアの消耗
を減らすために、
考える時間と視点を提供することはできます。
産業医は、社員を引き止める存在ではありません。
しかし、
離職という高コストな意思決定の「思考の質」を上げる第三者機能
にはなり得る。
私は、その程度の役割であっても、
実は立ち止まって考えてみた経験を持つことが、
その人にとって掛け替えのない経験となるのではないか。
そしてそれは顧問先企業にとって、ブランド価値の向上につながるのではないか、
そんなことを考えていたりします。
アンドモアー
キャリアアンカーとは

キャリアアンカーとは、
その人の職業人生を方向づける根本的な判断基準であり、
自己理解やキャリア支援の基盤となる概念です。
「アンカー=錨(いかり)」の比喩が示すように、
環境や立場が変化しても個人のキャリアを一定の方向につなぎ留める不変の軸となる、
価値観・動機・能力の中核を指します。
この概念は、米国の組織心理学者エドガー・H・シャイン(MIT〈マサチューセッツ工科大学〉スローン経営大学院教授)が、1978年に初めて提唱しました。
シャインは、人はキャリア形成の過程で「これだけは譲れない」という錨のような基準を形成し、
それが職業選択や満足度を左右すると考えました。
そして、キャリアアンカーは理論にとどまらず、
専門・職能志向、管理志向、自律・独立、安定・保障、起業家的創造性、奉仕・社会貢献、純粋な挑戦、生活様式という代表的な8つのタイプとして整理されており、
サイト上の診断テストなどによって自分のキャリアアンカーを判定できます。
自己理解やキャリア設計に、キャリアアンカーを活用してみませんか?
キャリアアンカーとは?8つのタイプと診断方法・活用方法を解説【診断シート付】
キャリアアンカーとは|8つのタイプと診断方法を解説-チェックシート付-キャリアアンカーとは、キャリアを選択する際に「絶対に譲れない価値観や欲求、考え方」のこと。キャリア形成の概念として、エドガwww.dodadsj.com
