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これってパワハラ?と聞かれたときに産業医は。

企業から産業医に寄せられる“パワハラ疑い”の相談


産業医として企業の面談に関わっていると、パワハラに関する相談を受けることは少なくありません。
実際の現場では、次のような2つの“対照的な”ケースが立て続けに起こります。

ケース1 強圧的な指導を受けた新人が体調を崩し、人事が「これはパワハラか?」と相談してきたケース


営業部の新人Aさんが、
上司から日常的に強い口調で叱責されていた、との報告があり、
最近は頭痛・吐き気・不眠などの症状が出ているということで、
人事から相談が入りました。

「上司は“指導のつもり”と言っていますが、
これはパワハラに該当するのでしょうか?
産業医の立場で判断してもらえませんか?」

企業側としては、
“部下に不調が出ている以上、パワハラとして扱うべきではないか?”
という不安が背景にあります。

ケース2 通常の業務指導に対し、若手社員が強いストレスを感じ「これはパワハラだ」と訴えたケース


入社2年目のFさんは、上司から
「報連相が不足している」「期限は守るように」
といった業務指導を受けました。

通常の指導であったようですが、
「否定された」
「人格を否定された気がする」
「これはパワハラではないか」
とひどく泣いて人事に駆け込んできました。
人事担当者も困惑しています。

「行為だけを見れば通常の指導の範囲ですが、
本人は強いストレス反応が出ています。
こういったケースはパワハラと言えるのでしょうか?
産業医の先生の判断をお願いしたいのですが……」

対照的に見える2つのケースに共通するもの


Aさんのケースは“強圧的指導の可能性”があり、
Fさんのケースは“過敏な反応による訴え”のようにも見えます。
しかし、どちらのケースでも企業の人事は同じ問いを投げてきます。
「これはパワハラですか? 産業医として判定してもらえませんか?」

この2つの症例を入り口に、
今回は
“産業医がパワハラの判定者として扱われてしまう危険性” と、
 “企業の労務管理に協力できる産業医のスタンス”
について整理してみます。

産業医は“判定者”ではない。だからこそ現場で力を発揮できる


結論から書くと、
産業医はパワハラの判定者ではありません。
しかし、
パワハラ事案を抱える企業にとって不可欠な専門家です。

診療でも産業医活動でも、ここに誤解がある現場は少なくありません。
その“線引き”と“産業医が本当に提供できる価値”を整理してみます。

産業医がパワハラの判定者になると何がまずいのか


産業医は企業の安全配慮義務の支援者です。
最も代表的なものは健康被害の未然防止と再発予防であり、
そこに医学知識が必要とされるために、
産業医が求められている、という順序です。

パワハラは、企業の安全配慮義務違反に類するものであり、
誰が扱うものか、といえば会社の労務さらには法務の領域で扱うものです。
誰が判断するのか、ということになれば、
その企業であり、
究極的には労働基準監督署などの強制権を持った外部機関です。
ロジックとしては労災と同じです。
大切なことは、企業としての危機であるということ。

そのパワハラで起きる健康被害は、ほぼすべてメンタル不調です。
パワハラ騒動が起きたときには、
メンタル不調が被害者側にも、加害者側にも、そしてその周囲にも起きてきます。

産業医は、必要に応じて、
パワハラの被害者側にも、加害者側にも
メンタル不調の改善や予防に働きかけ、
その働く力ができる限り発揮されるように支援しなくてはなりません。

しかし、パワハラを判断する側に回ってしまうと、
その産業医の最も重要な役割が損なわれてしまいます。
どちらかに肩入れしている、と誤解されただけで、
本来の役割は果たせなくなります。
産業医は常に”目の前にいる相談者の味方”でなくてはならないからです。
したがって、
産業医が企業の活動に資するためには、第三者性が保たれることが必要です。

なぜ企業は産業医に“判定”を求めてしまうのか


でも、産業医に判定を求めてしまう企業側の気持ちもわかります。
現場にはこんな“困りごと”があるからです。

  • 労務部門が少人数で回らない
  • 管理職が「指導」か「ハラスメント」かの境界をつかめていない
  • トラブルへの判断軸がない
  • 医師の言葉に“最終判断”のニュアンスを求めてしまう心理

要するに企業は、
本当のところは、
「パワハラかどうかを判定してほしい」のではなく、
「状況を整理してくれる専門家」を求めている
のです。
でも、そのことをうまく整理できていないためにズレが生じてしまうわけですね。

産業医はパワハラの相談には役に立たないってこと?


そうではないんですが、まあ、そうです。
下手に役に立とうとするよりは、まだその方が良い。

臨床医にありがちなサービス精神(スケベ心)が出ると、
面接した被害者/加害者とされる人の前で
「それはパワハラだ」とか
「そんなのパワハラには当たらない」とか
言ってしまいそうになります。

でもでもでも、
それは産業医は絶対に言ってならないんです。
絶対に。

なぜなら、
「医者がパワハラだと言っていたから」という主張が、
事態を混乱させ、
本来行われるべき企業の労務管理、
状況の改善と、ひいては本人たちの健全な回復力を損ないかねないからです。

精神科医としての経験から言うと、
曖昧な“お墨付き”ほど事態を混乱させるものはありません。

産業医ができること・できないこと

ここからが重要ポイント。
先に述べたとおり、産業医は判定者ではありません。
しかし企業を健全な方向に導く“専門家”として圧倒的に役立ちます。

【産業医ができないこと】

  • パワハラ認定
  • 行為者・関係者への事実調査
  • 処分内容の判断
  • 法的な最終評価

こういった判断は企業と法務の役割です。
産業医はここに踏み込まないように努力することが必要です。

【産業医ができること】

むしろ、こちらの方が本質的で企業にとって大きな価値があります。

● 健康影響の医学的評価

「今の職場環境が心身にどんな負荷をかけているか」を整理する。
これは企業の意思決定に直結します。

● 就業配慮の助言

どんな働き方なら再発を防げるか。
どの程度の配慮が妥当か。
医学的視点で提案できます。

● 組織の健康リスク分析

長時間労働、指示の出し方、会議文化などを“医学的負荷”という軸で見立てます。

● 行為者・管理職のコミュニケーション傾向の分析

認定とは別次元で、改善できる行動様式を具体化できます。

● 調査領域との「境界整理」

企業が誤った期待を抱かないよう、
どこが産業医の領域で、どこが企業の領域なのかを明確化すること自体が支援です。
限界を提供できる精神科産業医としての経験上、
この情報提供が最も重要なところだと感じます。

線引きと協力は矛盾しない

むしろ線引きがあるからこそ、産業医は長期的に企業を支えられます。

企業にとってもメリットは大きい。

  • 判断がぶれなくなる
  • 医学的見地からの意見が意思決定の質を高める
  • 組織改善が進む
  • トラブル対応が“個人戦”から“組織としての対応”へ進化する

産業医は“パワハラ判定者”である必要はありません。
役割を誤らないことこそ、企業に最大の価値をもたらします。

まとめ

特にパワハラ疑いの案件において、
産業医が何をするかと同じくらい、
何をしないかを明確にすることが大切です。

線引きは拒絶ではありません。
むしろ産業医が最も力を発揮するための前提条件です。

これからも自分の立ち位置を見据え、
企業の判断を支えることを通じて、
働く人を守るスタンスを探求していきます。

アンドモアー


今回はパワハラ関連での推薦図書を。
上記の産業医の役割を果たすためには、
ハラスメントの全体像を押さえておく必要があります。

実務家・企業担当者が陥りやすい ハラスメント対応の落とし穴

2023/12/22
山浦 美紀(弁護士) (著), 大浦 綾子(弁護士) (著)
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第6章 事後対応をするときの落とし穴
【38】ハラスメント行為者がメンタルヘルス不調と診断されたら、調査や事後対応は行えない⁉
など、Q&A形式でわかりやすくポイントを押さえています。

同じ著者のこちらも良書でした。

パワハラのグレーゾーン-裁判例・指針にみる境界事例 
2023/5/15
山浦美紀(弁護士) (著)
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これってハラスメントですか?
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Hyuga (著), はやかわ けんじ (原著)
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エンタメ枠ですが、なかなか良いのではないかと。