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「職場の発達障害」 「発達障害」の特性をもつ大人にどう対応するのか その2

|自分の気づき|
前回は「発達障害に必要なのは工夫である」「工夫するためにまず必要なのは自分の特性に気づくこと」と書きました。
では、どうやったらその人が自分には発達障害の特性があるのだ、と気づいてもらえるのでしょう?
精神科に行けば、ぱっと検査をしてもらえて、そして精神科医から<あなたは発達障害です>と言ってもらえて、それで本人が「そうだったのかぁ!!」となってメデタシメデタシ!。。。
なんてことはありません。
 

|そもそも論、発達障害の診断ってどうやってするの?|
ちょっと回りくどいですが、発達障害の診断はどうやってするのか、から始めます。
発達障害の診断も含め、精神科の診断は、その人の行動的な特徴、経過、症状から診断します。つまり問診です。
発達障害も含めて、精神障害を診断する検査方法はありません。
「心理検査ができないから発達障害の診断はできません」というのは対応を断るための理由づけであって、発達障害を診断するために検査は必要ありません。
まあ、先の台詞をいうような医者はそもそも問診でも診断できないので、ダメ医者センサーとしては有用ですが。
ではなぜ検査をするのかって?
それは診断とその後の対策にプラスになるからです。
そして検査課題への取り組み方にも発達障害の特徴が表れるので、それも診断の大切な材料になるからです。
 
|発達障害の問診|
発達障害を診断するための診断基準だとか、三つ組みだとかは、ここでは話題にしません。
きっとここまで読んでくださる方ならご自分なりに情報収集できると思います。
発達障害の問診で特に大切なのは、幼少期からの経過です。
生まれつきの脳機能の特徴から生まれる行動上の特性なので、大人になって突然始まった、ということはあり得ません。
それまでになかった行動上の特徴が新たに生じてくるのは、発達障害以外の精神疾患を疑います。
 
|職場では確定診断はできない|
「職場の発達障害」ではなくて、精神科での診断場面などであれば、兄弟や親御さんなどからの情報を得られるように努力して、幼少期や学生時代からの行動特徴を確認しますが、「職場の発達障害」ではそこまでできません。
なので、厳密に精神医学的な確定診断はできない、と言っておくのが正しいです。
 
|学生時代までは問題なかった、とは言うけれど|
といって、本人が<学生時代までは問題なかった>といったからと言って、本当に問題がなかったことにはなりません。
何故なら、自分では困っていなかっただけ、そもそも自分の特性に気づいていなかっただけ、ということもあるからです。
例えるならば、ペンギンは自分が飛べない鳥であることに違和感は持っていないはず、ということに似ているでしょうか。
まあペンギンはそもそも自分が鳥だから飛べるかも、とか考えてはいないでしょうけど。
大抵の人は、学生時代にはそれほど困ってはいません。周りの人に補ってもらっていたり、出来なくてもそれが当たり前だと思っていたりで。
大人になった今の時点で思うと、当時はこんなことがあったな、みんなとは違っていたかもしれないな、という場合が多いです。
 
|「自称発達障害」のニオイ|
逆に言うと、ここで「ずっと違和感があった、出来ないで小さい時から悩んでいた」という人は、自分が発達障害であることにしたい人なのかな?と疑ってかかることが多いかもしれません。
世に「発達障害」というものが広まるに連れて、こういった「自称発達障害」のような人も増えています。
自分の生きにくさ、人生の困難の理由を発達障害に求めようとする人です。
 
私は自称オタクと真正オタクの違いのようなものだと思っています。
オタクは自分が望んでなるものではなく、なってしまうもの。
他の誰にもわかってもらえなくても、疎まれてもハマってしまうもの。それがオタク。
「定め」であって、人生の選択ではないといったところでしょうか。
ちとマニアックかな。
 
自分で「学生時代から困っていた」と言っても疑ってかかり、
「学生時代は困っていなかった」と言っても疑ってかかる、
これが正しい精神科医というものです。極楽には行けませんね。
 
長くなってしまいました。
今日はここまで。
まだ続きます。