日本でカウンセリングと言えば、ほぼすべての方が思い浮かべるのが「傾聴」です。
これはカール・ロジャーズの来談者中心療法で「積極的傾聴」として提唱されている言葉です。
専門家の面接を受けに来る人のことを「クライアント」と呼んだり、面接の記録をする際に逐語録をとることもカール・ロジャーズが始めたのだそうです。
さて、
「傾聴」について、ただクライアントの話を一方的に聞くことである、
と表面的に理解している精神科医などの不勉強者にしばしば出会いますが、それは全くの間違いです。
正しくは「積極的傾聴」。
なので、「ただ聞くこと」ではなく、
目指すのは「クライアントの云わんとすること、その時の感情、体験などをできる限りリアルに理解しようとすること」です。
行動としては、「聞く」という受け身な行動ではなく、「積極的に聴く」。
具体的には、会話を一方的に話し手には任せず、
積極的に質問をしながら聞いていく。
質問するのは、
話し手だけはわかっているけど、こちらにはわからないこと。
会話の前提条件であったり、説明が不足していたりする箇所。
その時に話し手が感じていたこと。
話し手は語らなかったけど、同時に起きている大切なこと。他の人の反応など。
もちろん、全知全能の神のようにすべてを知り尽くすことはできないのですけれど。
「積極的傾聴」の目的は面接の目的に適うこと。
面接の目的、とは何かとなれば、
・話し手が共感してもらえた、と感じること、
・話し手との信頼関係(ラポール)を成立させること、
・話し手の混乱を整理しようとすること、
・話し手の持っている事態のストーリーを掴み、変化させ始めること、
・診断を付けること、
など、そのカウンセリングの目的は何か、話し手がその場を訪れたことの目的そのものになってきます。
と、このように「積極的傾聴」を真摯に行うことは、面接そのもの、カウンセリングそのものになってきます。
なぜ日本で「傾聴」=カウンセリング、のようになっているのかと言えば、
これは私の想像ですが、
おそらくそれまでが「面接とはアドバイスをされるもの」「相談される人の教えをいただくもの」、
といった教示的面接ばかりだったからではないかと思います。
でも本当は、
皆さん「面接で教えられるっていうか、説教なんて聞きたかないよ」「そんなこと言われたってできないから辛いんだよ」と思ってたからでしょうね。
だから、カタカナ用語の「カウンセリング」に夢見ていると。
今回はこれくらいで。
<傾聴とはただ聞くことではなく、あれこれ訊きながら聴くことである>
というお話でした。