Intro
通勤時間について研究した記事をきっかけに、
自分の経験を振り返った。
30年近く続けてきた通勤の運転時間は、
単なる移動ではなく、
思考の整理や切り替えの時間として機能していた。
普段は意識していなかったけれど、
その時間が失われると、
どこか調子が狂う感覚があった。
この感覚は、
単なる気のせいではないのかもしれない。
人はなぜ「何もしていない時間」で回復するのか
前回、通勤時間が必ずしも「無駄」ではない可能性について触れた。
では、なぜそのようなことが起きるのか。
ここには、人間のパフォーマンスを理解するうえで重要な2つの視点がある。
1つは、「境界(バウンダリー)」である。
人間は、仕事と生活を完全に連続した状態で維持することができない。
本来、そこには「切り替え」が必要になる。
仕事が終わる。
家に帰る。
役割が変わる。
この一連の流れの中で、
私たちは無意識にモードを切り替えている。
通勤という時間は、
この切り替えを“強制的に”生み出す装置だった。
職場から離れ、
物理的にも心理的にも距離を取る。
それによって、
仕事は一度区切られ、生活へと移行していく。
では、その「移行の時間」に何が起きているのか。
デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)
ここで重要になるのが、
もう1つの視点――
「ぼーっとしているときの脳の働き」である。
人は、何かに集中していないとき、
脳は活動を止めているわけではない。
むしろ逆に、
内省や記憶の整理、感情の処理などが進んでいる。
この状態は、
「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」と呼ばれる。
通勤中、
特にスマートフォンや仕事から離れている時間に、
私たちはこの状態に入りやすい。
・今日の出来事を振り返る
・うまくいかなかったことを整理する
・次にやるべきことをぼんやり考える
こうしたプロセスは、
意識的な努力ではなく、
無意識の中で進んでいく。
つまり通勤とは、
単なる移動ではなく、
「役割を切り替えながら、
無意識の処理を進める時間」
だった可能性がある。
問題は、
この時間が失われたときに何が起きるか、だ。
リモートワークによって、
移動は消えた。
その結果、
仕事と生活の境界も曖昧になった。
仕事は終わらず、
思考は区切られず、
感情は処理されないまま蓄積していく。
一見すると効率的に見える働き方が、
実際には回復の機会を奪っている可能性がある。
人間のパフォーマンスは、
「どれだけ長く集中できるか」では決まらない。
むしろ重要なのは、
どれだけ適切に切り替え、
どれだけ無意識のうちに整理・回復できているかである。
私たちはこれまで、
「何もしていない時間」を軽視してきた。
しかしそれは、
単なる空白ではない。
機能である。
では、その機能を前提にしたとき、
働き方はどう設計されるべきなのか。
そもそも私たちは、
「集中する時間」だけを設計していないだろうか。
もう少し続きます。
