おおた産業メンタルラボ

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若者問題を“世代論”で片付けないために|その1:なぜ「優秀な若者」が現場で止まるのか

「最近の若者は優秀なはずなのに、現場で動けない」
そうした違和感を抱く場面はないでしょうか。

・指示がないと動かない
・少し曖昧な状況になると止まる
・一方で、「それは非効率では」「意味がありますか」といった指摘は鋭い

こうした現象は、ときに「世代の問題」として語られます。
価値観が違う、根性が足りない、甘えている――。

しかし、それだけで片付けてしまうと、現場での対応を誤ります。

ここで起きているのは、能力の問題ではなく、
もう少し構造的な「適応のズレ」です。

まず前提として、今の若者に能力がないわけではありません。
むしろ、与えられた課題に対して最適解を導き出す力は、非常に高いものです。

ただし、その能力はある条件のもとで発揮されます。

それは、
「予測可能で、構造が定義されている環境」です。

ここ数十年で、社会は少しずつ変化してきました。

かつて当たり前に存在していた「未整地の領域」や「理不尽さ」は、
徐々に整備され、ルール化され、予測可能な領域が広がってきました。

これは間違いなく良い変化です。
暮らしやすくなり、努力が報われやすくなりました。

しかし、その積み重ねの先にあるのが、
現在の「予測可能な社会」です。

そして、予測可能であるということは、
言い換えれば「計算可能である」ということでもあります。

その延長線上に、AI化があります。

AIは突然現れたのではなく、
社会が徐々に「最適化され、予測可能になった」結果として現れています。

この構造は、教育や受験の世界にも色濃く反映されています。

かつては、限られた情報の中で、
何を選び、何を捨てるかを自分で判断し、
試行錯誤しながら解法を組み立てる必要がありました。

しかし現在は、
最短ルートが可視化され、
効率的な学習プロセスが高度に最適化されています。

結果として、
「正解のある問題を、最短で解く能力」
は非常に高くなりました。

一方で、
「正解のない状況で、仮説を立てて動く経験」
は相対的に減っています。

さらに、多くの場合、
進路や学習は「個人の試行錯誤」よりも、
大人やシステムによって設計されたレールの上で進みます。

その結果として、
・構造が与えられた場面では高いパフォーマンスを発揮する
・しかし構造が消えた瞬間に動けなくなる
という特性が生まれます。

これを端的に言えば、
「最適化された環境に適応した結果、不確実性への耐性が育ちにくかった」
ということです。

この違いをイメージするなら、
整備されたサーキットで最速を競う能力と、
未舗装のラリーや、道なき環境で走り続ける能力の違いに近いでしょう。

重要なのは、どちらが優れているかではありません。
そもそも求められている前提が違うのです。

現場の仕事は、多くの場合「未整地」です。

ルールは不完全で、
例外が多く、
正解があらかじめ用意されているわけではありません。

この環境においては、
・指示がないと動けない
・意味を明確に求める
・非効率を避けようとする

といった行動は、
むしろ自然な反応です。

ここで重要なのは、
この特性を単なる「未熟さ」として処理しないことです。

彼らの中には、
・自分が通用するのか分からない不安
・未知の環境に対する恐れ
・自分で判断してきた経験の少なさ
を自覚している人もいます。

ただ、それをどう扱えばいいのかが分からない。

だからこそ、
強がる、止まる、合理性に逃げる、
といった行動として現れます。

すべての若者がそうではありませんし、
全員にこの理解が必要なわけでもありません。

しかし、現場で起きている違和感の背景を、
このような構造として捉えられるかどうかは重要です。

「能力がない」のではなく、「前提としている世界が違う」。

この認識を持つだけで、
現場の見え方は大きく変わります。

次回は、この違いを踏まえたうえで、
経験を積んだ側に残っているものは何か、
――「不確実な状況で動ける力」はどこから来るのか
を整理していきます。