おおた産業メンタルラボ

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「心理的安全性」って何?

心理的安全性を「優しい職場づくり」だと思っている組織は、たぶん危ない


心理的安全性という言葉は、もう完全にビジネス用語として定着しました。

会議でも研修でも、管理職向けの本でも、当たり前のように出てきます。

「もっと発言しやすい雰囲気を作ろう」
「否定しない文化が大事」
「安心して働けるチームにしよう」

そのとおり。
そりゃそうだ。
方向性としては間違っていない。

ただ、精神科医として組織を見ていると、この言葉が広まるほど、少し危うさも感じる。

なぜか。

かなりの確率で、「心理的安全性」が<ぬるさ>に変換されているから。

心理的安全性は「仲良しクラブ」ではない


まず押さえておきたいのは、
心理的安全性とは「みんなが気持ちよく過ごせる空気」のことではない、
ということ。

本来の定義はもっと厳しい。

心理的安全性とは、
「対人関係上のリスクを取っても発言できる状態」
のこと。

つまり、
「この計画、かなり危ないと思います」
「その判断には反対です」
「正直、理解できていません」
「このままだと失敗すると思います」

こういう<言いにくいこと>を言える状態。
これこそが「心理的安全性」です。

逆に言えば、どれだけ雰囲気が穏やかでも、

・誰も異論を言わない
・失敗を深掘りしない
・問題提起すると空気が悪くなる
・上司への違和感を飲み込む

そんなことになっているなら、
それは心理的安全性が高い組織ではない。

単に「波風を立てない文化」
「ぬるま湯」です。

これは似ているようで、全く異なるもの。

「否定しない文化」が組織を弱くすることも


よくある表層的な理解は、

・否定しない
・責めない
・空気を悪くしない
・相手を傷つけない

そんな空気を読むというか、
表面的な優しさだけであふれた雰囲気が
そのまま心理的安全性だと思われているケースです。


もちろん、人を 不必要に傷つける必要はありません。

威圧的な上司が優秀かというと、
まあ大体は組織を壊します。

ただ、問題は表現型だけを取り上げて、
本質を損ねてしまうことです。

表面的な優しさだけであふれた組織は、
だんだん「何も言われない場所」になります。


これは診療でも似ています。
患者さんに嫌われたくない医療者ほど、必要なことを言えなくなる。

生活習慣の問題
飲酒
服薬中断
睡眠リズムの崩れ

本当は触れなければいけない。

でも、「責めていると思われたくない」ので避ける。

すると、一時的には関係性が穏やかになります。

ただ、問題は改善しない。
組織も同じです。

まあ医者の場合は、
薬出すだけが治療だと思っているダメ医者だとか、
その本質的な指摘の必要性に気が付いていないとか、
その両方、
という可能性も少なくないけど
閑話休題

穏やかな組織ほど、問題が静かに蓄積する


たとえば。
誰かが「このプロジェクト、かなり遅れそうだな」と気づいている。

でも、
今さら言うと空気が悪くなる。
誰かの責任問題になりそう。
面倒な人と思われたくない。
だから黙る。


品質に不安がある。

でも、
士気を下げたくない。
批判的に見られたくない。
だから黙る。

リーダーの判断に違和感がある。

でも、
反対すると角が立つ。
チームワークを乱したくない。
だから黙る。

こうして、
表面上は非常に穏やかなチームが完成します。


ただ、その穏やかさは健全ではない。
単に、「必要な摩擦」を避けているなのだから。

「君子は和して同ぜず」(論語)
という言葉があります。

仲良くすることと、無批判に同調することは違う、という話です。

この区別が抜けると、組織は静かに弱くなります。

「失敗を責めない」と「失敗を検証しない」は違う


ここも非常に重要です。

心理的安全性が高い組織では、失敗を過度に責めません。
ただし、それは「失敗を曖昧にする」という意味ではありません。

むしろ逆です。

真に心理的に安全な組織ほど、失敗をちゃんと分析します。

・何が起きたのか
・なぜ起きたのか
・どこに構造的問題があったのか
・そして、次に何を変えるのか

ところが、「振り返り」そのものが責めることと混同される組織があります。

すると、
「次は気をつけよう」
「まあ仕方なかった」
「誰も悪気はなかった」
これで終わる。

そして、失敗は繰り返されます。

これは優しい組織などではありません。
まったく。

単に現実を見ない組織です。

心理的安全性は「優しさ」と「厳しさ」の両方を要求する


この概念が難しいのは、ここです。

心理的安全性は、ただ優しいだけでは成立しません。

必要なのは、
・人格は否定しない
・でも問題は直視する

この両立です。

・失敗がおきたことは許容する
・でも失敗する要因は放置しない

・異論は歓迎する
・でも感情的対立にはしない

・厳しい指摘も扱う
・でも人格攻撃にはしない

このバランスは、かなり面倒です。
だから多くの組織は、わかりやすい方向へ流れてしまう。

「とにかく優しく」
「否定しない」
「雰囲気よく」
このほうが導入しやすいからです。

ただ、それだけでは本質からズレていきます。

本当に必要なのは「空気」より「構造」


心理的安全性は、空気感の話に見えます。
でも実際には、かなり“仕組み”の問題です。

そこでは、
・何が優先される組織なのか
・何が評価されるのか
・過ちはどこまで許容されるのか
・意見はどう扱われるのか
・失敗はどう検証されるのか

ここが曖昧だと、人は発言できません。

当然です。
何を言えば得をして、何を言えば損をするのかわからないから。

そうなれば、人は、「黙っているほうが安全」と学習します。

これは極めて人間的です。
人間は基本的に“罰を避ける方向”へ適応します。

だから、「何でも言っていいよ」だけでは足りません。
まったく足りない。

発言がどう扱われるか。
そこまで見えるようにして、初めて<安全性>になります。

「意見」と「人格」を分けられるか


もうひとつ重要なのは、この能力です。

「その案には反対です」
「この進め方には問題があります」

これは人格否定ではありません。

でも、この区別が苦手な組織はかなり多い。
意見への批判が、そのまま「自分を否定された」に変換されてしまう。

すると議論が成立しません。
結果として、誰も本音を言わなくなります。

必要なのは、やわらかい言葉だけではありません。

むしろ、
厳しい内容を扱えるだけの信頼
です。

ここを避けて「優しい空気」だけを作ると、組織は脆くなります。

真に心理的安全性の高い組織とは


「うちは雰囲気がいい」
「みんな仲がいい」
「強く否定する人はいない」

これは悪いことではありません。

ただ、それだけでは心理的安全性が高い組織にはなりません。

本当に見るべきなのは別のところです。

  • 言いにくいことが言えているか
  • 問題提起した人が損をしていないか
  • 失敗が隠されていないか
  • 異論が人格攻撃として扱われていないか
  • 耳の痛い話を、組織が処理できているか

ここです。

心理的安全性の高い組織づくりとは、
<現実と向き合える組織>を作ること。

優しい組織を作ることではありません。

そこを取り違えた瞬間、
この「心理的安全性」という言葉は組織を強くするどころか、
むしろ静かに弱くしていくでしょう。

アンドモアー


しまった、ツオイのかどうかは定義できなかった、、、