一見の人から電話で相談を受けた話の3回目
相談内容
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西日本にある実家に住む、50代後半のお母様のこと。
旦那さんと二人暮らしだが、
旦那さんは本人の状態があまりにひどく、一緒にいられず、
隣県にある自分の会社へ行ってしまい、現在は別居状態だという。
10年来の”うつ”が悪化しており、「全く一睡もできていない」と訴えている。
一方で、朝になると薬が残っていることもあり、起きられない。
起きてもぼうっとしている状態が続いている。
”うつ”になった”原因”はいくつもある。
かつて自分で事業をしていたが、その際の仕事上のパートナーに裏切られた経験が”トラウマ”になっている。
また、結婚当初の旦那さんの行動についても”トラウマ”があり、そのことをいまだに許せずにいる。
「一睡もできない状態が続き、”うつ”がひどい」ため、A総合病院に入院した。
しかし、入院中もやはり眠れない状態が続き、
1か月ほどで「もう家に帰りましょう」という判断になり、自宅に戻った。
だが、帰宅後も症状は全く良くなっていない。
ご子息である相談者のもとに、そんなお母様から電話がかかってきて、
「つらい」「苦しい」と繰り返し訴えられる。
相談者は「一体、自分はどうしたらいいのだろう」と困り、考えあぐねているという。
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(この事例はファンタジーです)
そろそろ、そもそもの話をしよう
→もう一つ。
これも間違いないだろうと思うことは、
お母様は「一睡もできていない」「10年間、一睡もできていない」
と一生懸命訴えているけれども、実際にはそんなことはない、ということ。
なぜなら、「朝は起きられない、動けない」と言っているわけで、
起きられないということは、寝ているということだから。
ただ、その眠りがほとんど眠れていないように感じられて、とてもつらい、ということなのだろう。
→そして、そのきっかけとして、
過去の旦那さんの結婚当初の行動への不満であったり、
事業でのパートナーとの関係がこじれてしまったことなどを、
相談者には話している。
→これは断じて言うけれども、
それらはうつの原因ではない。
もし「これが原因だ」
「過去にそういうことがあったからこうなったのだ」
と言うのであれば、
それは二度となくなることはないし、
過去にあった事実なのだから、
変えようがない。
→ひどくつらいことがあった。
そのことを残念に思う。
そのこと自体は、本人の捉え方として尊重されてよい。
けれども、「つらいことがあったからうつになる」
という考え方は、精神科医として支持しない。
どう良くなっていくのか
→では、これがどう変わっていくのかという話になるけれども、
それは「すごくつらいことがあった」という事実を、
お母様がどう捉えるか、ということ。
その捉え方が変わっていくことで、
お母様の状態も変わっていく、
ということ。
→あえて強い言い方をすれば、
今のお母様は、そういうふうに思いたがっている。
そして、「だから今、こんなにつらいのだ」という意味づけを、
ここ最近の人生に与えている。
その捉え方がどう変わっていくのか。
これはお母様の人生の見方であって、
薬で変わるとか、
医者や誰かが「こうしなさい」と言って変わるようなものではない。
→何かのきっかけで変わるのかもしれない。
そのきっかけは、
誰かに「こうしてみたら」と言われることかもしれないし、
何かやってみて、
絵を描いてみる、座禅を組んでみる、いろいろ愚痴を言ってみる。
その結果として、「もしかしたら」と思うことかもしれない。
けれども、結局のところ、
本人がその状況を「変えてみよう」「変えてみてもいいかな」と感じないかぎり、
変化は起こらない。
だから、入院してみたらいいかな、とか、
薬をとっかえひっかえしてみたらいいかな、とか、
病気のせいにして、医療のせいにしてみたらいいかな、とか。
今は、そういうものをいろいろ探しているタイミングなのだと思う。
時を待つ、それまでの必要な期間
実際のところ、年を重ねてくると、
昔話や昔のつらい話をずっとしていたい、
そんなふうになってしまう人はいる。
それしかやることがない、そんな状態になってしまう人もいる。
そして、そういう時間が必要な人もいる。
精神科医としては、
それを本人がしたいのであれば、そうするしかないと思っている。
とりあえず「それをやっていたい」ということなら、
「そうなんだ。今はそういう気分なんだね」と受け止めて、
飽きるまでやらせておく。
ただ大切なのは、
それは「今、その人がそう思っている」「そう捉えている」
ということであって、
「実際にそんなことがあったから、もうダメなんだ」
という考え方には賛成しない、ということ。
「今はそう思っているんだね。なるほど」
「そういうことはあったけれど、じゃあ、これからどう変わっていこうか」と。
そのためには、結局、変化に目を向けるしかない。
いいことの例外探し。
「こんなことをしてみたら、ちょっと楽しかった」
「こんなものを食べてみたら、ちょっとおいしかった」
「こんなことをやってみようかな、と思えた」
こういった変化の兆しに注目していく。
そのためには、
今のつらい気分に浸りきって、飽きるまでやりきる必要がある人もいる。
そんな人もいる。
敢えて押さない
>私も「散歩してみたら」とか、「出かけてみたら」とか言うんです。
>で、時には「また新しく仕事を始めてみようかな」とか。
>そんなことも、調子のいい時には言うんです。
→やっぱり、そういう力もあるんですね。
まだまだ枯れていない力がある。
ただ、その力が今はマイナスの方に向かって、
「全く眠れない」などと、極端なことを力強く言う方向に使われている。
そんな状態になっている。
→では、「何かしようかな」と言ってきた時には、
「ぜひそれがいいよ!」と押さないでください。
多分、お母様のような強い人に対しては逆効果で、
「でもね」と言い出して、結局やらない理由が出てくる。
>あ、そうかもしれません
→そうでしょう。
だから、「それもいいかもしれないね」くらいに留めておく。
どうせ、「そうしましょうよ」「そうしなさいよ」と言ったってやらない。
どちらの方が始める可能性が高いかといえば、
見守っておく方だと思いませんか。
大切なことは、
お母様のネガティブな方に向かうエネルギーを助けないこと。
それだけです。
もう少し続きます。
