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精神科産業医が語る|通勤って、本当に無駄ですか?その1:9000時間の通勤は、無駄だったのか

Intro


通勤「44分」がメンタルヘルスの分岐点――そんな記事を読んだ。

正直、妙に腑に落ちた。

18歳で運転免許を取ってから、約30年。
ほぼ毎日、車を運転してきた。

主に通勤や通学だ。

平均すると、往復で1時間半ほど。
時には片道100km、往復3時間の通勤をしていた時期もある。

年間200日出勤として約300時間。
それを30年続ければ、通勤に費やした時間は9000時間になる。

こうして数字にすると、
ずいぶん無駄な時間を過ごしてきたようにも見える。

だが、実感はまったく逆だ。

運転している時間は、
単なる移動ではなかった。

考えを整理する時間であり、
仕事と生活を切り替える時間でもあった。

むしろ、この時間があることで、
自分のリズムが保たれていたように思う。

もしこの9000時間がなかったとしたら、
自分はどうなっていただろうか。

コロナ禍でもリモートワークになることはなかったから、
この時間が完全に失われた経験はない。

ただ、出張などで運転をしない日が続くと、
どこか調子が狂う感覚があった。

うまく言語化できなかったが、
今回の記事を読んで、その理由が少し分かった気がする。

タイパがあなたの生産性を壊している


「通勤は無駄だ」
そう考えるビジネスマン、そして経営者は多い。

確かに、移動時間は何も生み出していないように見える。
削減できるなら削った方がいい。
リモートワークは合理的だ。

――本当にそうだろうか。

米国の研究では、通勤時間とメンタルヘルスの関係は単純ではなかった。
片道通勤時間と心理的苦痛の間には、U字型の関係がある。

通勤時間が短すぎても、長すぎてもよくない。
およそ「44分」を境に、それ以上になると苦痛は増え、
それ以下では、むしろ心理的負担が軽減されるという結果だった。

通勤は、単なる「移動」ではない可能性がある

私たちはここ数年、
「いかに無駄を削るか」という問いに支配されてきた。

移動時間を削る。
会議を短くする。
すぐに返信する。

いわゆる“タイパ”の追求だ。

しかし、ここで一度立ち止まって考えたい。

削減したその時間で、
私たちは本当に「回復」しているのだろうか。

人間は機械ではない。
連続して稼働し続けるようにはできていない。

仕事と生活の間には、本来「切り替え」が必要だ。
思考には「余白」が必要だ。

だが、リモートワークによって
その境界は曖昧になった。

仕事はいつでも始まり、終わらなくなった。

効率化によって、私たちは時間を手に入れたはずだった。
だが同時に、
「切り替える機会」も失ってはいないだろうか。

通勤という行為は、
これまで当たり前すぎて、価値を見落とされてきた。

だがそれは、
単なる非効率ではなく、
何かしらの“機能”を持っていた可能性がある。

求めるもの


重要なのは、
通勤が良いか悪いかではない。

もっと根本的な問いがある。

私たちは、
「人間の構造」に合った働き方をしているのだろうか。

効率化は、常に正しいとは限らない。

むしろそれは、
気づかないうちにパフォーマンスを下げている可能性すらある。

あなたの会社は、
削った時間で、本当に回復できているだろうか。


続きます。