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精神科産業医が語る|通勤って、本当に無駄ですか?その3:働き方は、“効率”ではなく“設計”の問題

Intro


通勤時間について研究した記事をきっかけに、
自分の経験を振り返った。

30年近く続けてきた通勤の運転時間は、
単なる移動ではなく、
思考の整理や切り替えの時間として機能していた。

普段は意識していなかったけれど、
その時間が失われると、
どこか調子が狂う感覚があった。

この感覚は、
単なる気のせいではないのかもしれない。

働き方は「制度」ではなく「設計」である


これまで、
通勤という行為を起点に、
人間のパフォーマンスについて考えてきた。

通勤時間は、
単なる移動ではなく、

「切り替え」と「無意識の処理」を生み出す時間である可能性がある。

そして、
人間のパフォーマンスは、

どれだけ長く集中できるかではなく、
どれだけ適切に切り替え、回復できているかで決まる。

もしこれが前提だとすれば、
私たちが本来向き合うべき問いは、
「出社か、リモートか」ではない。

その二択は、
あまりにも表面的だ。

問題はもっと手前にある。

私たちは、
人間の構造に合った働き方を「設計」しているだろうか。

多くの企業では、
働き方は「制度」として議論される。

出社日数をどうするか。
リモートを許可するか。
フレックスにするか。

だが、それらはすべて“手段”であって、
本質ではない。

本質は、
どのように「境界」をつくり、
どのように「余白」を確保するかである。

集中する時間だけではなく、
切り替える時間、
回復する時間を、
どのように組み込むか。

しかし現実には、
効率化の名のもとに、
そうした時間は削減されてきた。

移動は短縮され、
会議は詰め込まれ、
常に接続される状態が前提となった。

それによって得られたのは、
果たして「生産性の向上」だったのだろうか。

あるいは、
見かけ上の効率と引き換えに、

思考の深さや、
回復の機会を失ってはいないだろうか。

重要なのは、
何を増やすかではなく、

何を「削ってはいけないか」を見極めることである。

人間は、
連続して稼働し続けるようにはできていない。

だからこそ、
働き方は「設計」の問題になる。

制度を整えるだけでは不十分だ。

人間がどのように疲れ、
どのように回復し、
どのように思考するのか。

その前提に立たない限り、
どれだけ合理的に見える制度であっても、
いずれどこかで歪みが生じる。

通勤が良いか悪いかは、
もはや重要ではない。

リモートが優れているかどうかも、
本質ではない。

問うべきは、ただ一つだ。

あなたの組織は、
人間の構造に合わせて設計されているだろうか。

この項終わり。