おおた産業メンタルラボ

コラム・お知らせ

若者問題を“世代論”で片付けないために|その2:経験を積んだ側に残っているものの正体―「不確実な状況で動ける力」はどこから来るのか―

前回は、「優秀なはずの若者が現場で止まる理由」を、
能力ではなく「適応のズレ」という構造から整理しました。

では逆に、現場で動けている人は、何が違うのでしょうか。

この問いを「経験があるから」と片付けてしまうと、
あまり意味のある説明にはなりません。

重要なのは、
その“経験の中身”です。

まず前提として押さえておくべきことがあります。

それは、
不確実な状況に対する不安は、
若者も、経験を積んだ側も、本質的には同じだということです。

AI化が進み、予測可能な領域が機械に置き換わっていく中で、
「この先どうなるのか分からない」という感覚は、
どの世代にとっても共通です。

違いがあるとすれば、
その不安との付き合い方です。

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若者問題を“世代論”で片付けないために|その1:なぜ「優秀な若者」が現場で止まるのか

「最近の若者は優秀なはずなのに、現場で動けない」
そうした違和感を抱く場面はないでしょうか。

・指示がないと動かない
・少し曖昧な状況になると止まる
・一方で、「それは非効率では」「意味がありますか」といった指摘は鋭い

こうした現象は、ときに「世代の問題」として語られます。
価値観が違う、根性が足りない、甘えている――。

しかし、それだけで片付けてしまうと、現場での対応を誤ります。

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精神科産業医が語る|通勤って、本当に無駄ですか?その3:働き方は、“効率”ではなく“設計”の問題


通勤時間について研究した記事をきっかけに、
自分の経験を振り返った。

30年近く続けてきた通勤の運転時間は、
単なる移動ではなく、
思考の整理や切り替えの時間として機能していた。

普段は意識していなかったけれど、
その時間が失われると、
どこか調子が狂う感覚があった。

この感覚は、
単なる気のせいではないのかもしれない。

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精神科産業医が語る|通勤って、本当に無駄ですか?その2:なぜ“何もしていない時間”で、人は回復するのか


通勤時間について研究した記事をきっかけに、
自分の経験を振り返った。

30年近く続けてきた通勤の運転時間は、
単なる移動ではなく、
思考の整理や切り替えの時間として機能していた。

普段は意識していなかったけれど、
その時間が失われると、
どこか調子が狂う感覚があった。

この感覚は、
単なる気のせいではないのかもしれない。

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精神科産業医が語る|通勤って、本当に無駄ですか?その1:9000時間の通勤は、無駄だったのか


通勤「44分」がメンタルヘルスの分岐点――そんな記事を読んだ。

正直、妙に腑に落ちた。

18歳で運転免許を取ってから、約30年。
ほぼ毎日、車を運転してきた。

主に通勤や通学だ。

平均すると、往復で1時間半ほど。
時には片道100km、往復3時間の通勤をしていた時期もある。

年間200日出勤として約300時間。
それを30年続ければ、通勤に費やした時間は9000時間になる。

こうして数字にすると、
ずいぶん無駄な時間を過ごしてきたようにも見える。

だが、実感はまったく逆だ。

運転している時間は、
単なる移動ではなかった。

考えを整理する時間であり、
仕事と生活を切り替える時間でもあった。

むしろ、この時間があることで、
自分のリズムが保たれていたように思う。

もしこの9000時間がなかったとしたら、
自分はどうなっていただろうか。

コロナ禍でもリモートワークになることはなかったから、
この時間が完全に失われた経験はない。

ただ、出張などで運転をしない日が続くと、
どこか調子が狂う感覚があった。

うまく言語化できなかったが、
今回の記事を読んで、その理由が少し分かった気がする。

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